我が家の「卒乳」振り返り お気持ち編

育児

人はなぜ卒乳をするのでしょうか。

産まれてから毎日のように、あるいはまさに毎日、口いっぱいに頬張ってきたお母さんのおっぱい。むせるほど飲んでみたり、出ないと泣いて噛んでみたり。

いつまでも指をくわえたままでは何も欲しいものは出てきません。しかしお母さんのおっぱいはくわえればくわえるほど出てくるのです(もちろん個々の事情はありますが)。

母親の腕の中、無限の愛に包まれながら、永遠に続くようなふれあいの時間。

しかし、時は残酷なものです。小さい頃、あんなにお母さんの後を追いかけた私も、いつしか家庭を持ち一児の父となりました。

限られた人生、いつまでも同じところにしがみついているわけにはいかないのです。

親の責務とは何でしょうか。人それぞれ想いがあるでしょう。

私が考える親の責務は、やはり将来、いち社会人として自立・自律して生きていけるようにすることです(でもその知識や答えのようなものを、私は何一つ持っていないのですが)。

そう、卒乳は息子にとってまさしく「自律」、その大きな一歩なのです。卒乳をすれば、赤ちゃん返りでもしない限り、息子は金輪際、2度と母親の胸に口をつけることはないでしょう。

あの時の様に、もう無条件に母親の元へ駆け寄るわけにはいかない、自分を律するのです。

そして、母親とてそれは同じ。

顔をくしゃくしゃにして、涙と鼻水を撒き散らしながら自分の胸に飛び込んできたあの子を、これまでの様に迎え入れることはもうないのです。

もし息子が、今にも溢れ出しそうな表情で服のボタンに小さい指をかけてこようとも「おっぱい、バイバイしたよ」と、その指をゆっくりと、そして優しく解かねばならないのです。

これまでどんなに息子の機嫌が悪かろうと、夜闇が深かろうと、たとえ自分が熱にうなされていようと、かいがいしく向き合う妻の姿を見てきました。

その時の妻の表情、息子にかける言葉はひたすらに穏やかで、その様子を傍から見ている私は、言葉にできない、でも幸せな感情を抱いていました。

「(可愛くて)一生このままでいいかもね」

冗談のように言いながら、夢中でむさぼる息子の頭を二人で優しく撫でていたこともあります。

あの時間は、妻と私にとっても疑いようもなく幸せな時間でした。

いつかは別れが来ることを知っているのなら、わざわざこちらからその手を離さなくても良いのではないか。自然にその時が来るまで待てば良い。私は呑気にそんなことを考えていました。

妻もまた同じ気持ちを抱えていました、しかしそれは葛藤とともに。

仕事のこと、次の子どものこと、時間は待ってはくれません。彼女は焦りを感じていました。

気のない返事を繰り返す私をよそに、日中の授乳をやめてみようとしたり、夕飯前におっぱいを欲しがらないように事前に夕飯を準備してみたり、試行錯誤を繰り返していました。

その度に息子は大きな声を上げ、涙を流しながら母親に懇願します。その様子を見る度に、私は息子の為かはたまた自分の為か、

「そんなに焦らなくていいんじゃない」
「(おっぱい)あげたら?」

そんな言葉をなんの責任もなく口にした記憶があります。彼女と私のため息がすれ違い、些細とは言えない険悪な時間を過ごしたことも数知れません。

などと体よく書いていますが、そのほとんどは私の理解、思慮不足です。私の根本的な問題は今もそのままなのですが、ともかくある日、私は物事を進める覚悟をしました。

妻の想いを聞き、わずかばかりの情報集めて、どのように卒乳を進めればよいか。白湯のようなコーヒーを飲みながら、考えを巡らせました。

そして、12月も折り返しを迎えようかという頃、ひとつの計画が動き出しました。2020年の年越しをもって授乳を終え、卒乳するというものです。

残された時間は2週間と数日。リビングには、壁にマスキングテープで固定したカレンダーとキャラクターもののシール。息子と妻と私のカウントダウンがスタートです。

この頃、卒乳とは別に、息子の就寝前のルーチンを作る取り組みが進められていました。

妻がスケッチブックに描いてくれた「ねんねのじゅんび」。お風呂に入って、パジャマをきて、歯磨きをして、絵本を読んで、ねんねする。

お風呂から出た後は、いつもこの画を見せながら「歯磨きしましょう」「絵本読もう」「ねんねする?」そんな言葉をかけていました。

今思えば、妻のこうした地道で心の通ったやりとりが土台にあってこその卒乳だったのでしょう。

私が能天気に眺めていた点と点は、妻と息子が引いた線ではっきりと繋がっていたのです。頭が上がりません。

「今日は○○日だから、ここにシール貼ってね」そんな言葉を合図に、寝室に移動する前の息子は、お気に入りのシールをひとつはがし、カレンダーに貼り付けます。

「(12月31日を指さして)この日でおっぱいバイバイするよ」

「あと〇日だね」

「今日はここだから、あと〇回ねんねしたらおっぱいとバイバイだね」

そんな言葉を息子にかけます。しかしまだ1歳を過ぎたばかりの息子、今日の日付にシールを貼ることもなければ、私たちの声に明確に振り返ることなどもありません。

私が見る限り、息子はシールを貼ること自体がただただ楽しくて、あちこちに貼っては剥がしてを繰り返しています。

覚束ない自分の指がもどかしく、苛立った素振りを見せたり、もっと沢山シールを貼りたくて、シールを取り上げられるとグズったり。

その姿は普段の息子と何一つ変わりません。妻も私も日常を噛みしめながらも、あえて言えば、そこに手ごたえなどまるでありませんでした。

「あと〇日でおっぱいとバイバイだね、さみしいね」

「おかあさんもさみしいよ」

「いつも飲んでくれてありがとうね」

妻と私は、ひたすらに、そして素直に、息子とのやりとりを重ねました。

息子は寝落ちする直前や、眠くてぐずるとおっぱいを飲むのがおおよそのお決まりでした。保育園がお休みの日は、午後のお昼寝と夜のおやすみ時、後は深夜に起きた時。

息子にとっては、やはり母親の腕の中が一番の安息地なのでしょう。眠くなると抱っこしている私の腕を引き剥がし、逃げるように、助けを求めるように、母親の服の袖をつかんでいました。

しかし、卒乳に向けて歩みを進める中で変化が生じてきました。

お休みの日のお昼寝は、父親(私)の寝かしつけで眠るようになったのです。私と寝室に移ると、暗闇の中、母親を探して泣き続ける息子の姿はそこにはありませんでした。

「おっぱいにバイバイする」という息子の姿勢の表れなのか、卒乳に向けた妻と私の決意、覚悟の表れなのか、恐らくはその両方でしょう。

私は…?どうなのでしょう。

ともかく、少しずつ、少しずつ。

クリスマスを終え、妻は仕事納めをし、息子の保育園も冬休みに入りました。

コロナ禍のなか、テレビをつけない我が家では夕方の散歩で息子と見る商店街のイルミネーション以外に年の瀬を感じることもなく、1日1日はあっという間に過ぎていきます。

散歩する息子の右手を腰を落として掴みながら、私は頭の中で予防線を張り巡らせていました。

1月1日の夜、布団の上で嗚咽しながら母親に倒れ込む息子の姿。優しく諭す妻の姿。

自分は何分何秒耐えられるだろうか。誰の為、何の為、結局は自分の為に。

「また今度だね」

「頑張ったよね。良しとしようよ」

何が頑張ったね、だ。白々しい。自分の弱さを棚に上げておいて。どうすればいいんだ。結局自分にできる事なんかあるのか。

成功する画を描けないまま、自分に出来るのはそういった不安やネガティブな感情を何とか表に出さない事だけでした。

妻も妻で色々想像することはあるのでしょうが、その先の事を私に話してはきませんでした。

そんなわけで、少なくとも私は何の準備も手ごたえもなく、その日その時間を迎えていました。

12月31日、冬休みに入ってからお決まりの通り、息子は起きて、ごはんを食べて、眠くなって、泣いて、おっぱいを飲んで、昼寝をして、お散歩して、お腹が空いて、おっぱいを飲んでいました。

この数週間の間毎日、寝室に向かう前カレンダーにシールを貼りつける息子の背中に、自分の語彙力のなさに辟易としながら思いつく限りの言葉を投げかけてきました。

やるだけのことはやった…やったのか?まだいいわけを探しているのか。どうせ他人事のように「ああすればこうすればよかった」とか…

自分のことばかり考えているのは本当に碌な時間じゃない。頭の中で頭を振り、見えない息子の気持ちと向き合う。

頑張ってるな、息子よ。お父さんはこれくらいしか言えることないけど、頑張ってるな息子よ。

猫型のナイトライトを小さい手に抱え、妻に抱えられた息子。さてどうなるか。

……

昨日とも一昨日とも何一つ変わらず、ナイトライトの呼吸するような点滅に合わせて見え隠れする息子の姿。

なんだかいつもよりも長く飲んでる気がするな。別れを惜しんでるようだな。いや気のせいかな。空振りのような独り言を浮かべながら唯々見守る私。

どうやら飲み終わったようです。妻はそっと息子を布団の上に座らせます。

「○○、ありがとう。今日でおっぱいバイバイだね」

「うん。今日でおっぱいバイバイだね、ありがとうね、○○。」

息子はいつもの困り顔で、眠い時に見せる頭を掻く仕草をしています。ほどなくして、息子はその大きな手を、小刻みに縦に揺らしました。

「うん、バイバイだね。ありがとう。」

「ありがとう、○○」

息子はおっぱいにバイバイを告げました。

今思えば、なんとおこがましいことでしょう。息子はとうにその大きな一歩を踏み出していたのです。

息子は生まれた時からずっと、一人の人間として、目の前に起こることに向き合ってきた。そんな当たり前のことを、息子は態度をもって示し、教えてくれました。

ありがとう、息子。そして妻。これからもよろしく。

こうして、我が家の2020年は想像した以上にゆっくりと、そしてあっという間に終わりを告げました。


あとがき

かくして、妻が卒乳に向けて焦りの気持ちを見せたあの日に一夜漬け未満で考えた、カレンダーを使った卒乳計画は見事に結果を残しました。

こんなに順調に卒乳するとは思いもしませんでしたので、正直妻も私もビックリです。

上では授乳最終日、寝る前のシーンで終わっていますが、実際には翌日の就寝時や、保育園が再開してその帰宅後などがヤマ場でした。が、そこも想像よりもずっとスムーズに息子と妻は乗り切ってくれました。

もちろん、息子はそれまでのようにおっぱいを求めましたが、妻が優しく諭すと息子は次第に理解したのか、落ち着きを取り戻していました。

そして卒乳後、今この記事を書いている1月18日現在まで、息子は一度もおっぱいを飲まずに過ごしています。その代わり?に食事量がドンドンドンと増えましたね。

息子の逞しさに、細い目をますます細める日が続いています。

シール貼りは継続中です

実際には、ここで挙げた以外にも細かい取り組みがあるのですが、今回はお気持ち編ということでまた別の機会に譲ります。

ご覧いただきありがとうございました。

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